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本編はイラストと2分半のうごいらつき(音声なし)

## 堕ちの子

静寂は、もう随分と昔から僕の友人だった。いや、友人というよりも、僕自身の一部となっていたのかもしれない。この冷たく湿った地下室に響くのは、自分の呼吸音と、遠くで滴る水の音だけ。それが僕の世界の全てだった。

「おい、静かだな。」

突然、扉が開く鈍い金属音が響き、僕の世界に亀裂が入る。眩い光が差し込み、目を細める。そこに立っていたのは、この地下牢の管理者である男だった。彼の顔はいつも無表情で、感情の起伏なんてものを見せない。しかし、その瞳の奥には、時折、僕に対する蔑みのような、あるいは好奇心のような、複雑な光が宿っていた。

「今日も、特に変わりないか。」

男は無造作に僕に話しかける。僕はただ、首を横に振るだけだ。話すことも、話されることも、僕にはもう必要がなかった。

「ふん。」

男は短く鼻を鳴らし、手に持っていた金属の棒を僕の檻の柵に軽く打ち付ける。その音は、僕の骨にまで響くような不快な響きだった。

「お前も、いつかは変わるのだろうか。それとも、ずっとこのまま、ただの『堕ちの子』として生きていくのか。」

『堕ちの子』。その言葉が、僕の存在意義そのものを表しているかのようだった。かつて、僕にも名前があったはずだ。家族も、居場所も、そして、光もあったはずだ。しかし、それは遠い記憶の彼方。この地下室に連れてこられてから、僕の全ては奪われ、ただの「堕ちの子」として、ここに閉じ込められた。

男が去っていくと、再び静寂が訪れる。しかし、その静寂は以前とは少し違っていた。男の言葉が、僕の無感動な心に、微かな波紋を立てたのだ。

『堕ちの子』として、僕はいつまでここにいればいいのだろうか。このまま、誰にも知られず、誰にも顧みられることなく、朽ち果てていくのだろうか。

そんなことを考えていると、ふと、檻の隙間から、小さな光の粒が差し込んでいることに気づいた。それは、地上から漏れてくる、ほんの僅かな光だった。その光は、僕の血のように冷たい肌に触れ、微かな温もりを伝えてくる。

その光は、僕の閉ざされた心に、小さな希望の種を蒔いたようだった。

数日後、いつものように男がやってきた。しかし、その日、男はいつもの棒ではなく、小さな木箱を持っていた。

「今日はお前に、一つ、与えてやろう。」

男はそう言って、木箱を僕の檻の前に置いた。僕は何が起こるのか理解できず、ただ、ぼんやりとそれを見つめている。男は、慣れた手つきで木箱の蓋を開けた。

中には、色とりどりの宝石が詰められていた。普段、僕の目にするのは、この地下室の灰色の壁と、男の冷たい視線だけ。そんな僕にとって、宝石の輝きは、まるで別世界からの贈り物のように鮮烈だった。

「これは、お前に与えるものだ。だが、勘違いするなよ。これは、お前が価値のある人間だからではない。ただ、私の気まぐれだ。」

男はそう言い放つと、僕に宝石を一つ、放り投げてきた。それは、深紅のルビーだった。男が地面に落ちたルビーを蹴り飛ばし、僕の檻の前に転がす。

「拾ってみろ。お前のような『堕ちの子』に、そんなことができるのか、見せてみろ。」

男の言葉に、僕は無意識に手を伸ばした。冷たい鉄の柵の間から、震える指先でルビーを拾い上げる。その瞬間、ルビーの冷たい感触が、僕の指先に吸い込まれていくような感覚を覚えた。

そして、そのルビーを握りしめた時、僕の体内を、熱い何かが駆け巡った。それは、僕が忘れていた、生きていくための力のようなものだった。

男は、僕のその変化に気づき、わずかに目を細めた。

「ほう…随分と、熱いものを持っているようだな。」

男は、皮肉な笑みを浮かべながら、僕の檻から離れていった。

それからというもの、男は時折、僕に宝石を与えてくるようになった。青いサファイア、緑のエメラルド、そして、虹色に輝くオパール。男が投げてくる宝石を拾い、それを握りしめるたびに、僕の体内には、前よりも強い力が満ちていくのを感じた。

僕の体は、以前よりも軽やかに動き、そして、僕の視界は、以前よりも鮮明になっていた。地下室の壁のひび割れ一つ一つ、滴る水の音の響き方、それら全てが、僕の意識の中に、くっきりと刻み込まれていく。

そして、僕の心の中にも、変化が起こり始めていた。宝石の輝きは、僕の凍りついた心を溶かし、失われていた感情を呼び覚まし始めたのだ。

ある日、男がいつものようにやってきた。しかし、その日の男の様子は、いつもと違っていた。彼の顔には、これまで見たことのない、焦りのようなものが浮かんでいた。

「…お前、一体、何者なんだ。」

男は、僕の檻に向かって、そう問いかけた。その声には、いつものような威圧感はなかった。

「お前が、この地下室の封印を破り始めたのではないか？」

封印？ 僕は、男の言葉の意味を理解できなかった。しかし、僕の体内に宿る力が、確かに増していることを実感していた。

男は、必死に僕に問いかける。

「お前は、ある力によって、この地下に封じられた。その力は、お前がこの場所から出ようとすると、さらに強まる。だが、お前が宝石を吸収するたびに、その封印は弱まっているんだ。」

男は、僕の檻の前に立ち、僕の顔をじっと見つめた。

「お前は、もはやただの『堕ちの子』ではない。お前は、この世界に、大きな影響を与える存在になるかもしれない。」

男の言葉は、僕の心に、今まで感じたことのない重圧をもたらした。僕は、一体、何者なのだろうか。そして、この力は、僕に何をもたらすのだろうか。

その夜、僕は、今まで以上の力を感じていた。宝石を吸収したことで、僕の体は、もはやこの檻に縛り付けられるものではないことを悟っていた。

僕は、ゆっくりと立ち上がり、檻の柵に手をかけた。そして、今まで考えたこともなかったような、不思議な力で、柵を掴む。

「…開け。」

僕の言葉は、まるで呪文のように響いた。そして、信じられないことが起こった。

ゴゴゴ…

鈍い金属音が響き、檻の柵が、僕の手によって、ゆっくりと曲がり始めたのだ。

男は、その光景を、ただ呆然と見つめていた。

「まさか…お前が…」

柵が完全に開いた時、僕は、初めてこの地下室から、自由になった。

男は、僕に何も言わなかった。ただ、僕が地下室の出口へと歩き出すのを、静かに見送っているだけだった。

地下室の扉を開け、僕は、長い間忘れていた、地上へと続く階段を登り始めた。空気は冷たかったが、その冷たさの中に、生命の気配を感じた。

そして、地上に出た時、僕は、眩い光に包まれた。それは、僕がかつて見ていた、あの光だった。

空は、どこまでも青く、雲は、綿のように白く浮かんでいた。世界は、色に溢れていた。

僕は、失われていた自分の名前を思い出した。そして、失われていた自分の過去を、ゆっくりと取り戻していくような気がした。

僕は、もう『堕ちの子』ではない。

僕は、この世界に、新しい存在として、生まれ変わる。

男は、地下室の出口で、僕の姿が見えなくなるまで、じっと立ち尽くしていた。彼の顔には、複雑な感情が入り混じっていた。それは、畏敬、そして、微かな期待、あるいは、不安だったのかもしれない。

「…歩き出したか。」

男は、静かに呟いた。

僕の物語は、まだ始まったばかりだった。この世界で、僕は、自分の存在意義を見つけ、そして、この力を使って、何をするのだろうか。

それは、まだ誰にも分からない。

ただ、僕の心の中には、あの宝石の輝きが、そして、あの失われた光が、確かに宿っていた。

それだけが、今の僕の全てだった。