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## タイル

男は、今日もまた同じ場所に立っていた。薄暗い路地の奥、剥がれかけたレンガの壁の前。手にはスマートフォン。画面には、幾何学模様のタイルが敷き詰められた画像が表示されている。

≪GIF(1280×720)×1≫

それが、この場所で彼が見つけることのできた、唯一の痕跡だった。

男の名は、タクミ。かつて、ここに小さなアトリエを構えていた。そこで、彼はタイルを作っていた。ありふれた、ただのタイルではない。触れると温かみを感じるような、どこか懐かしい気持ちになるような、独特の風合いを持つタイルだった。

タクミのタイルは、口コミで徐々に評判を呼び、地元のカフェや雑貨店で使われるようになった。彼は、自分の作ったタイルが、人々の日常に溶け込んでいることに喜びを感じていた。

しかし、ある日、アトリエは忽然と姿を消した。いや、正確には、アトリエはそこにある。ただ、中身が、タイルが、全て消えてしまったのだ。工具も、材料も、完成したタイルも、全てが跡形もなく消え去った。まるで、夢でも見たかのように。

警察にも届けたが、盗難の形跡はなく、原因は不明。保険会社も、不可解な状況に首を傾げ、結局、保険金は支払われなかった。

タクミは、呆然とした。希望も、情熱も、全てが抜け落ちたように感じた。タイルを作る意味を見失い、彼はアトリエを閉鎖し、別の仕事を探した。

それでも、どうしても、タイルへの想いを断ち切ることができなかった。時折、彼はこうして、かつてアトリエがあった場所に立ち寄り、記憶を辿っていた。

あの時、一体何が起こったのか。

スマートフォンに表示されたGIF画像は、アトリエが消滅する直前に、彼が個人的に記録していたものだった。完成したタイルを撮影し、SNSにアップするために、短くループするアニメーションにしたものだ。

何度も何度も、彼はそのGIF画像を再生した。タイルの一つ一つを、丹念に見つめた。何か手がかりはないか、何かおかしい点はないか、と。

しかし、そこには、ただ美しいタイルの模様があるだけだった。

数ヶ月後、タクミは、たまたま入ったアンティークショップで、驚くべき光景を目にする。ショーケースの中に、彼が作ったタイルが飾られていたのだ。

最初は、見間違いかと思った。しかし、何度見ても、それは間違いなく彼が作ったタイルだった。あの独特の色合い、手触り、そして、彼が一つ一つ丁寧に刻印した、小さなマーク。

「これは…どこで手に入れたんですか？」

タクミは、店主に尋ねた。

店主は、薄いレンズの奥で目を細め、言った。

「ああ、これはね。珍しいものだよ。数ヶ月前に、とある倉庫から出てきたんだ。持ち主は、もう亡くなったらしい。生前、タイル職人だったとか」

タクミは、息を呑んだ。

「その倉庫は…どこにありますか？」

店主は、住所を教えてくれた。それは、かつて彼のアトリエがあった場所から、そう遠くない場所だった。

タクミは、その足で倉庫に向かった。錆びついた扉を開けると、埃っぽい空気と、古びた木の香りが鼻をついた。

倉庫の中は、薄暗く、ガラクタが積み上げられていた。しかし、奥に進むにつれて、彼は異様な光景を目にする。壁一面に、無数のタイルが埋め込まれていたのだ。

それは、まるで巨大なモザイク画のようだった。赤、青、黄、緑…様々な色のタイルが、複雑に組み合わされ、一つの大きな模様を形作っていた。

そして、その中に、彼が作ったタイルも、確かに存在していた。

タクミは、思わずタイルに手を触れた。冷たく、硬い感触。しかし、その奥には、確かに温かみが感じられた。

その瞬間、彼の頭の中に、ある記憶が蘇ってきた。

アトリエが消滅する数日前、彼は、奇妙な夢を見た。夢の中で、彼は、巨大なタイルの壁の中に立っていた。そして、その壁は、まるで生きているかのように、ゆっくりと動き出し、彼を飲み込んでいった。

夢から覚めた彼は、ただの悪夢だと思った。しかし、今、目の前に広がる光景は、まさに夢の中で見たものと同じだった。

彼は、ふと、倉庫の隅に置かれたダンボール箱に気がついた。箱の中には、いくつかのMP4ファイルが保存されたUSBメモリが入っていた。

彼は、スマートフォンにUSBメモリを接続し、ファイルを開いた。

≪MP4(1080×1920)×5≫
≪MP4(3840×2160)×1≫

画面に映し出されたのは、タイムラプス映像だった。映像は、彼のアトリエの様子を記録していた。

映像の中で、彼は、黙々とタイルを作り続けている。そして、夜が更け、彼が眠りにつくと、奇妙な現象が起こり始める。

壁から、床から、天井から、無数のタイルの破片が、ゆっくりと現れ始めたのだ。それは、まるで、土の中から芽が出るように、あるいは、傷口から新しい皮膚が再生されるように、ゆっくりと、しかし確実に、増殖していく。

そして、タイルの破片は、次第に形を成し、彼の作ったタイルと、全く同じものへと変わっていく。

映像の最後には、アトリエ全体が、タイルで埋め尽くされる様子が記録されていた。

タクミは、愕然とした。

つまり、アトリエが消滅したのではなく、タイルが増殖し、アトリエ全体を覆い尽くしてしまったのだ。そして、そのタイルは、倉庫に移動し、巨大なモザイク画を形成した。

なぜ、こんなことが起こったのか。

タクミは、必死に記憶を辿った。何か、思い当たることはないか。

そして、彼は、あることに気がついた。

アトリエが消滅する数ヶ月前、彼は、新しい釉薬を開発していた。それは、古代の製法を参考に、特殊な鉱物と、植物の灰を混ぜ合わせたものだった。

その釉薬を塗ったタイルは、独特の光沢を放ち、見る者を魅了した。しかし、彼は、その釉薬の成分を、完全に解明していなかった。

恐らく、その釉薬に含まれる成分が、何らかの触媒となり、タイルの自己増殖を促してしまったのだろう。

タクミは、深い後悔に苛まれた。自分の好奇心が、とんでもない事態を引き起こしてしまったのだ。

しかし、同時に、彼は、ある可能性に気がついた。

もし、タイルの自己増殖が、彼の釉薬によって引き起こされたものだとしたら、そのプロセスを、逆に利用することもできるかもしれない。

彼は、もう一度、タイルを作ろうと思った。

今度は、ただ美しいタイルを作るのではなく、失われたものを再生させるためのタイルを作るのだ。

彼は、倉庫から、いくつかのタイルを持ち帰り、再びアトリエを構えた。そして、彼は、あの時と同じように、釉薬を作り、タイルに塗った。

数日後、タイルは、ゆっくりと、しかし確実に、増殖を始めた。

タクミは、その様子を、じっと見守った。

タイルは、まるで、彼の希望を吸い上げ、形にしていくかのようだった。

そして、ある日、彼は、失われたものを取り戻すことに成功した。

それは、ただのタイルではない。それは、彼の記憶であり、情熱であり、そして、希望だった。

無くなる事があるなら生える事も。

タクミは、微笑んだ。

彼のタイルは、再び、人々の日常に溶け込んでいくことだろう。そして、いつか、失われたものを取り戻すための、希望の光となるかもしれない。